こんにちは。
ナイスガイではないけれど、ナイスガイの本を読んでみたサトーです。
感想です。
この本は
この本で定義されているナイスガイというのは以下のような男性です。
ナイスガイたちは、人からよく見られたい、「正しい」ことをしようという思いにとらわれ、周りの人をハッピーにすることにいちばんの幸せを感じます。
いさかいを何より嫌い、人の機嫌を損ねないようかなり気を遣います。概して、ナイスガイたちは穏やかで寛大です。
女性を喜ばすことには格別に気を遣い、何とかほかの男たちとは違うと思われたいと考えています。
ナイスガイたちは自分が献身的で、思いやりにあふれた善い人間であれば、その見返りとして、ハッピーで、人から愛され、満ち足りた生活が送れると信じているのです。
こういう人が、アメリカには大勢いるらしいのです。
なので、上の条件に当てはまらない人はナイスガイではないので、ナイスガイ向けのこの本を読む必要はありません。
本書は、ナイスガイ症候群に悩んでいる人の事例を用いながら、改善策を提示しています。
ナイスガイができあがるまで
ナイスガイたちがどうやって誕生したのか、
一見、問題なさそうに見えるナイスガイたちの悩みとは何なのか、
著者のもとに訪れたナイスガイたちは悩みにどう対処して、どう変わったのか、
ということが、多くの事例を用いて説明されています。
興味深いなあと思ったのは、ナイスガイたちの成り立ちです。
ネタバレすると、彼らの幼少期にその主な原因があるそうです。
それは、
父親と健全な関係を築けなかったために、母親と近しくなりすぎて、女性を無条件で迎合するようになってしまったために、ナイスガイ症候群に陥ってしまったと著者は解説しています。
ここで思い出したのは愛着障害です。
愛着障害の本を読むと、主に幼少期に母親にまともに愛されなかったために、他者との適切な距離がわからず、悩んでしまう・・・といったことがかかれています。
私が読んだ愛着障害の本では、父親の役割や不在には特にふれずに、母親を糾弾するような本が多かったですね。読んでて胸糞わるくなったんですよね。愛着障害の本は。
とはいえ、ナイスガイ症候群は愛着障害に通じるものがあるなあと思いました。
どちらも幼少期に身近な、お手本とすべき大人と適切な関係が作れなかったり、あるいはそういう存在が不在だったために、大人になってからも本人が認識できないほどの深いダメージになっているようなのです。
愛着障害とことなる点は、ナイスガイ症候群を患っているのは男性で、彼らには手本となる大人の男性がいなかったことが、多く見られる共通点です。
そういう理由から著者は、少年にとっての父親または大人の男性の役割が重要であるとみているんですね。
男女逆だったら
これも面白いなあと思ったんですが、ナイスガイ症候群の一部の症状を女性に当てはめてみると、具体的な人物像が思い浮かぶんですよね。
例えば、
「何でも夫の言いなりになっている親戚の」おばさん(本文ではおじさん)
「相手によって態度が変わり、相手が望むような対応しかしない上司」
とかね。
女性でもたまにいますよね。こういう人。
これはなぜだろうと考えてみたら、ナイスガイ症候群は「女性に気に入られたい」という気持ちが強いらしいんです。
男女逆転させると、女性の場合は「男性に気に入られたい」になるでしょう。
「何がなんでも男性に気に入られたい」
「権力ある年上男性に気に入られたい」と無意識のうちに考えていて、行動する女性、いると思うんですよね。
そういう女性たちと、ナイスガイ症候群の男性たちに共通するのは、やはり幼少期に周囲の大人と何らかのトラブルがあったり、トラウマを抱えていることではないかと思いました。
とはいえ、この本はナイスガイ症候群の男性向けに書かれた本ですので、男性特有の問題もいくつかありそうですけどね。
まとめ
男性向けに書かれた本ではありますが、著者の考察や、言葉はかなり真理をついていて、男性以外にも重く響くものがたくさんありました。
「ナイスガイは父とは違うと思いたい」
「でも彼が本当はどんな人間か、みんな知らないんです」
「男はどうあるべきかが分からなくなってしまった」
「認められたくてしょうがない」
「誰かに怒られる嫌われてしまうと思い込み、その秘密を抱えたまま、いつかバレるのではないかとびくびくしながら生きていくことになったはずです」
「愛とつながりを求めていながら、実際には周りの人々を遠ざけてしまう目に見えないバリアをつくってしまうのです」
とかですね。
ナイスガイ症候群ではない人でも、女性でも読んでみると考えさせられることがありそうです。
それでは、お読みいただきありがとうございました♪