こんにちは。
この本を読んで多様性とはリスクヘッジでもあるし、時に命に関わるんだなと思ったサトーです。
感想です。
この本は
「本書を執筆しようと思ったのは、その多様性がたんに民俗的・文化的な問題にとどまらず、ビジネスから政治、歴史学から進化生物学にまで関わる問題だと気づいたのがきっかけだった。」と著者のマシュー・サイドが謝辞に書いています。
その言葉のとおり、CIAのかつての採用基準の偏りから、サッカー英国代表、悲劇に見舞われた登山家集団、オーケストラや科学者やパイロット、そしてツムギアリまで話題にのぼります。
これらの事例を用いて著者が説いているのは、多様性がいかに重要で、進歩や、生命や安全に影響を及ぼすかということです。
世界の多様性
具体的にいうと、イギリスの人頭税を導入した政府のエリート集団には裕福でない人々の意見が取り入れられなかった結果、大失敗に終わったとか
霊長類学に女性科学者が進出してきたら新たな発見があったとか
オーケストラの面接のときに性別がわからないようにしたら、女性演奏者の採用率が上がったとか
平均値に合わせた仕様を撤廃して、コックピットを個人個人にあわせてカスタムできるようにしたら、事故が激減した空軍の話とか。
そういうおもしろい話がたくさんでてきます。
画一性を追求してやまないジャパン
多様性の反対語は画一性らしいです。
画一性とは、すべてを同じ企画にして個性や特徴を削ぎ落とすということです。
で、『多様性の科学』を読んでいて何度も頭をよぎったのは、こういうニュースです。↓↓↓
女性の活躍を応援する応援団なのに、当事者の女性が1人もいない光景です。
ジョークかと思ったんですが違うみたいなんですよね。
「同じ種類の男」という画一性を拡張していく気満々ですね。
こういうのも最近はあからさまにやるようになってきましたね。↓↓↓
こういう事例を「多様性」という視点で見ると、物事を発展させたくない、現状を変える気はないんだなということがよく分かりますね。
現状を変える気がないということは、「女性応援団」などと謳っている場合、これらの企画自体がポーズであり、中身が伴っていないことになりますね。
そう受け取られてもしょうがないですね。実際そうなんでしょう。
こんな薄っぺらなポーズを取り続ける人たち、多様性を拒否する人たちに主導権を任せたままでいいのか?ということになりますね。
あなたなら、どうしますか?
まとめ
印象に残ったのはヒエラルキーの話です。
ヒエラルキーとは、ピラミッド型の階層・階級組織のことです。ピラミッドの上に行くほど地位が高くて偉いので、下の人々は上の人の言うことを聞かなければならない、逆らってはいけないとか、そういうやつです。
エベレストで悲劇に見舞われた登山家たちは、生死を分ける場面でもヒエラルキーを重視したために命を落とす結果になったらしいのです。
階層の下にいる人が、上の人に意見を言えなかったために、命に直結する重要なことが無視されたんですね。
「階層の下にいる人の意見」という多様性を受け入れられなかった、または階層が上の人が下の意見を聞くわけない」と思い込んでいたのかもしれないですね。
いやはや・・・こエベレストの件は凄い話でした。
多様性というのは常日頃から受け入れておかないと、いざという時に安全性や命にも関わることなんだなと知りました。
そういう意味で多様性を取り入れるというのはリスクヘッジにもなり得るんですね。
大変、面白い本でした。
自分のことも振り返ってみて、多様性を受け入れられているか、どんな部分に多様性が必要か、考えてみたいと思います。
それでは、お読みいただきありがとうございました♪