本と映画とドラマの感想|サトーのブログ

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『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』感想

 

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こんにちは。
値上げや税金やマイナンバーカードの話題を目にするたびに気が滅入るサトーです。

さて、日本は一億総中流といわれて久しいですが、
はたして本当にそうなのか?
と疑問を投げかけてくる本です。
この本の中に「一億総中流」というワードは出てきませんが
少なくとも私はそんな感想を抱きました。

 


2011年 震災

 

 

この本が発行されたのは2011年。
その年、東日本大震災のときに
著者が目にした「貧困」や「社会的排除」の
様子も書かれています。

 

ほかにも著者がボランティアとして
参加した活動で出会った、
ホームレスのおっちゃんたちのこと、
国民皆保険」をうたう社会保障制度と医療サービス
モノの貧困と精神的な貧困のちがい
「健康で文化的な最低限度の生活」とは

 

など、いろいろな視点から
弱者と社会的包摂について書かれています。

 


社会的包摂とは

本のタイトルにもなっている
社会的包摂というのは、
2011年1月に当時の菅直人総理大臣が
作った特命チームのテーマだったらしいです。

 

ざっくりいうと、
生活困窮者や自殺したがってる人などへ
手を差し伸べる「一人ひとりを包摂する社会」
を目指した動きだったようです。

 

私は知らなかったんですが、
そんなことがあったんですね。

 

で、
その社会的包摂とは何かというと
社会的排除」に相対する概念で、
平たく言えば
「社会につつみこむこと」である。

 

とのことです。
社会的弱者を排除しない、とか
誰ひとり見捨てない、とか
そういう意味でしょうか。

 


2023年の今

私が一番、恐ろしいと思ったのはですね、
「ホームレスの人々が子どもに襲われる事件がめずらしくない」
と書かれていたことです。

 

ツイッターでも、時々そういう事件が
話題になりますが
そのたびにショックを受けるんですよね。

 

この本が発行されたのが2011年ですから
10年以上経っても
「子どもがホームレスを襲う」現実が
いまだにある、ということなんですね。

 

恐ろしいですよね。
情緒や常識や倫理観が未発達な子どもとはいえ
どうやったら
ホームレスを襲っていいと考えて
行動に移すんでしょうね?

 

この本には、北村年子氏の
「ホームレス襲撃事件と子どもたち」
から引用して
「ホームレス襲撃事件は子どもたちのいじめの連鎖」と
書いてあります。

 

ということは、
子どもたちのいじめがなくならないと
子どものホームレス襲撃事件もなくならないと
いうことなんでしょうか。

 

虐げられた弱者が、さらなる弱者を攻撃する
という構図がここにもあるんですね。

 


相対的貧困絶対的貧困

腹落ちしたのは、
相対的貧困」と「絶対的貧困」の違いです。
これをごっちゃにしてるがために
議論がかみあわない人がいるとのこと。

 

まず、「絶対的貧困」は
戦後の日本や、発展途上国みたいな状況です。
明日も生きているかわからない、
モノも住む家も着るものもない
といった状態ですね。

 

一方、「相対的貧困」というのは
” その社会のほとんどの人が享受している
ふつうの生活」をおくることができない状態 ”
と定義されています。

 

今の日本だと、
若いのにスマホをもっていないとか
働き盛りなのにPCをもっていないとか
そういうことが含まれるのではないでしょうか。

 

著者は、モノだけでなく
食事、衣服、住居、人付き合い、就労にも
相対的貧困があると書いています。

 


貧困なのにスマホがある

この話で思い出したのが
ちょっと前にツイッターで話題になった
貧困若年女性支援団体の支援を受けている
若い女性のことです。
彼女はスマホをもって写真に写っていました。

 

ツイッターでその写真を見た人が
「貧困といっているのにスマホを持っているじゃないか。
それは貧困じゃないだろ」
みたいなことを書いていました。

 

でも本にもありましたが、
2023年の今、スマホは生きるための必需品ですよね?

 

いくら貧しいといっても
スマホ(通信)がなければ
友達や知人と連絡がとれないし
生きるため、働くために必要な情報も
得られません。

 

現代の情報社会で生きるためにまず必要なのが
スマホだとしたら、
それは持っていて当然だし、
持っていなきゃ逆にやばい、という事になります。

 

おそらく、支援を受けていた若い女性の貧困は
写真に写っていない部分にあったのではないでしょうか。

 

ツイッターで彼女を見て
「それは貧困じゃないだろ」と言った人は
おそらく相対的貧困絶対的貧困
ごっちゃになっていたんだと思うんですね。

 

貧しいといったら、着るものもボロボロで
家もなく、スマホなんて持てるわけないだろ、
だからスマホを持っているコイツはニセモノの貧困だ!
みたいなかんじで、
その人の中には「絶対的貧困」の
概念しかなかったんだと思います。

 


モノ以外の貧困

で、若い彼女の貧困は
写真に写っていない部分にあったのではないかと。

 

著者が言ってるような、衣食住や就労の部分ですね。
例えば、経済的事情で1日1食しか食べられない、
しかもコンビニやファストフードだけとか。
定職に就きたいけど、仕事が見つからないとか
頼れる親や友人がいないので、誰にも相談できないとか。

 

そういった「ふつう」の人ができているであろう
「ふつうの生活」ができない状態が
相対的貧困である、とのことです。

 

なので現代社会では
スマホを持っているからといって、それだけで
この人は貧困ではない、と
決めつけることはできないということですね。

 


まとめ

読み終わって愕然としたのはですね
この本が発行されてから
10年以上経っているのに
日本の貧困の状態がまったく
変わっていないようだ。ということです。

 

子どものホームレス襲撃も
モノの貧困も
弱者が取り残され、排除される社会も
あんまり変わってないんですね。

 

それどころか、2024年秋には保険証が廃止され
問題だらけのマイナンバーカードがとってかわるとか。
国民皆保険」が揺らぎはじめていますよね。

 

10年前よりも酷くなってるような気がしますね?
それとも見えてなかったものが
可視化されてきたんでしょうか。

 

いずれにしても
貧困の只中にある個人が解決できることではないようです。
だからといって、
安易な公的扶助や就労支援だけでは解決しない
ということも、理由とともに書かれています。

 

だいぶ前の本ですが、書かれていることが
「今も変わっていない」ことを考えると
貧困も格差も非常に根深い問題だなと思いました。

 


それでは、お読みいただきありがとうございました。

 

 

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